保護動物ビジネスの仕組み

@butu_butu__

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巷で話題のアレ

保護フェレットを0にする事をゴールとしていない活動を「保護」と認めてはいけない理由

今日のお話しはちょっとキツイですよ。

前回のお話でもチラっと言いましたが、私だけでなく、活動者達がそれまであちらこちらに忖度して優しくまろやかに、なんとなぁくで「みなまで言わずとも皆さんお分かり頂けますよねぇ」って、やってきてたらとんでも解釈というか、それを逆手にとって、結局、「動物たちのため」から真逆な事がなぜだか「保護」と言われるようになってきてしまいました。

なので、今日は、なるべく誰も傷つけない表現を探して探して、言葉を選んで思いを綴ってきたいつものいたちのおうちらしからぬ表現をたくさん使います。

「嫌なら見ない方が良いですよ」と言いたいところですが、今日お話しする事は私含め「あなたたちが作ってきた今のペット社会の現実」です。

目を背けて良いのか悪いのか、それはご自信で判断して下さい。

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保護動物を0にする事をゴールとしていない活動を「保護」と認めてはいけない理由

少し前まで「保護動物を使ったビジネス」というのはその多くが保健所収容動物を集めての商売、いわゆる保護活動者達が行うそれを指す言葉でした。

※良いとか悪いとかの話しはしていません。

ここ最近では、対処に困った販売基準からはじかれた子達や繁殖リタイア犬や猫を「保護動物」と称してペットショップで格安で販売したり、譲渡という形をとったりとする流れが”良いビジネスモデル”としてニュースなどでも普通に流れてくるようになりました。

ここで一度よく考えてみて欲しいのです。

「もともと処分対象だった命が繋がるんだから良いじゃないか」という多くの意見はとてももっともらしいそれではあるのですが、本当にそうでしょうか?

「もともと処分対象の命」ってなんですか?

延々とその「処分対象の命」と呼ばれる命が平気で生み出され続けている状態が私にはとても恐ろしく異常な事に感じます。

その異常な状態を改善する努力をせずに、良い事だ、素晴らしい取り組みだともてはやされる行き先を用意して、提携動物病院への通院確約やペットフードの定期購入などとの抱き合わせでそれを「商売」とするのであれば、それはもう「保護動物」ではないのでは無いかと…

売り上げに貢献している立派な商品なのですから他の子たちと同じに扱ってあげるべきでは無いかと私なんかは思うのですよ、あくまでも素人考えですけども。

だって、それを「保護動物」だとか「保護活動の一環として」だとかって言っちゃってたら、永遠に「保護」が出続けますよ?…作り続けているのだから。

それを保護活動の一環とするのであれば、その活動のゴールはどこになるのかなって単純に不思議で仕方が無いわけですよ。

本来やるべき「保護活動」は処分対象の命の行き先を作る事ではなく、「処分対象になる命を減らす事」なんじゃないのかなって…

だから私は、処分対象の命を少しでも減らしたいと願うのであれば、処分対象の命が減ってしまったら商売として成り立たなくなるようなビジネスを認めてはいけないと考えています。

間違って欲しく無いのですが、これはペットショップヘイトではありません。

私はむしろペットショップが無くなったら困ると言っている側です。

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あくまでも「保護動物を使ったビジネス」について「それは違うんじゃないか」と言っているだけですので、そこだけは誤解無きようお願いしますね。

保護っ子をブランドとする狂った価値基準を元に戻さなければ「保護」は無くならない

SNSを開くと「保護っ子(犬・猫・フェレット・ハリネズミ・鳥・その他)をお迎えしました」的な表現をとてもとてもよく見かけます。

私が活動者だから目がそうなっているという事情をさっ引いても、ショップやブリーダーから「お迎えしました」より明らかに遥かに多いです。

世の中にはそんなにたくさんの「保護動物」が溢れかえっているのかと愕然として、詳細を追ってみると保護っ子と里子の線引きが曖昧なだけの場合が多く、それは私たち保護活動者が「ちゃんとしてこなかった」せいもあるなと反省しています。

もちろん、保護匹頭数が多い犬ボラさんや猫ボラさん達の中にはその活動の宣伝のために里親さんに「保護っ子を引き取ったとSNSに書いて下さい」としている所もあります。

少しでも多くの方にワンちゃんや猫ちゃん達の現状を知ってもらうためにそれは必要な事です。

が、無分別な過剰繁殖や野良という存在が無い、いわゆる「もともと処分対象の命」というもののないフェレットの現状にそれは必要ありません。

それをする事はむしろ「保護と言えば注目してもらえる」みたいなおかしな価値観を育む事になると危機感すら覚えますので、いたちのおうちははっきりこう言っています。

ペット業界が保護業界に参入してきたのは”皆”のせい!

劣悪な環境(ペットショップ)から「保護してきました」って買った“だけ”では、むしろ保護活動の妨げになるって知っていますか?という詳細はこちらの記事をお読み頂くとして

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こうやって、「可哀想な子は売れる」という実績を作ってきたのは消費者であるこちら側だという事を一人一人が肝に銘じて、ペット社会のこれからを考えなければいけない時が今なんです。

ペット業界というのはあくまでも商売の場なのですから、利益にならない事には手を出しません。

それが保護業界に参入してきたという事は「保護動物は利益になる」って、私たち消費者側が欲したからなのですよ。

「可哀想な子に需要がある社会」は異常な事だと一人一人がきちんと認識しなければ、「可哀想な子」は減らせません。

いたちのおうちは保護フェレットを0にするのが目標だから

いたちのおうちはもともと、どんな状況にあった子であっても「可哀想な子」という表現を絶対にしません。

なので、「可哀想な子のために」という枕詞が付いたお申し出には「うちにはそういう子はいないので」と全てお断りをしています。

募金のお願いの時も「医療費がかかる保護っ子がいるからご支援をお願いします」とそう言ってきています。

「可哀想な子のためにお願いします」と情に訴えかけるやり方は昭和の悪しきそれです。

保護動物を0にしたければ、「保護動物を使った何か」をしてはいけないし、それに反応してもいけないのです。

今日ここをお読み頂いている皆さま方一人一人に「保護」とは何なのか、「保護動物を0にするには」をお考え頂き、ご自身の中にその信念を築いて頂きたいと思います。

良かれと思ってとったその行動や発言が、結果として『保護動物を作る活動に協力する事』になっていないか、それをお考え頂くだけでも、十分に「本当の意味での保護活動に参加している」事になるのですからね。

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